燃えないゴミの日

捨てられたもモノと残されたモノの違いはなんだろう

モノに主体性はない
モノに存続の喜びはない
モノに自分の体積や重量を決める権利はない

モノは「制度」であったり、「慣習」であったり
「しきたり」や「社会通念」「一般論」等と呼ばれたりする。


とりわけ優等生面した「正義」ちゃんも「正論」くんも、
一定の形状で光り輝いていられる時間は短いのだから
いつかはゆがみひずみ軌道からずれてしまうのだから
そのうちに誰からもお呼びが掛からなくなるのだから
とうとう完全に無視をされ、肉片のひとかけらも残らないくらいに
跡形もなく、そこに生きていたのは幻だったかのように無惨に
抹消されてしまうのだから

モノは存在した歴史さえ語り継いではもらえないのだ。
それが「捨てる」という行為

だから今、残されたからといって未来永劫「残される」ことは有り得ない
終局がほんの少し先送りされただけの事で、
所詮は捨てられるモノになる、という宿命からは逃れられない。



捨てられたモノと残されたモノ
違うのは、時間の流れる速度
棄てられた物とやがては棄てられる者
生きている実感は同じ
生き延びた期間も同じ

ブラックホールに呑み込まれる程近づいた命知らずモノには
期限付き永遠という矛盾空間の中で「残されたモノ」という称号が与えられるだけ。
それが「残す」という行為


私が忘れない、などという微弱な引力では話にもならない



片付け物をしている時、捨てるに捨てられない品々を眺めているうちに
とっくに捨てた想い出まで抽斗から出して仕舞って、
すっかり収拾がつかなくなった余命僅かな人々のさいわいを祈って・・・
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# by on-nao | 2005-01-10 14:57 | おとおし